※※記録/回想※※ どうでも良さ気なお話 忍者ブログ
八月の読書日記。好みとしては米澤穂信、恒川光太郎がお気に入り。ミステリ、推理が割と好き。自分から手を出すことは少ないが、推されると弱い。基本的に濫読派。  不定期更新です。キーワードは『宵の徒然』
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iPhoneのバッテリー交換が年内まで3,800円だって言うので交換してきた。
おかげさまで丸1日はバッテリーが保たず、帰りの電車の中ではモバイルバッテリーに繋いでる、そんな状況が少し解消された。

以前にも話題に出してるように、AppleのGeniusBarは何度もお世話になっていて、MacBookはもとより、iPad、そしてiPhoneを持ち込んだことが何度かある。
初めてiPhoneを持って行った時は
「キャリアで売っている携帯とは比べ物にならないほどの手厚いアフターケアだ!」と少し感動したものだけど、
回を追うごとに「Appleの客が増えてる」と実感するのもGeniusBarだった。

いつ行ってもApple Storeは混んでるし、GeniusBarは予約取れないし。
GeniusBarの予約が取れなくて、急いで問題解決の糸口が欲しい場合、コールセンターに電話する、あるいは電話を向こうからかけてもらうという手が取れる。
ただ、忘れもしないあのとき、私がコールセンターで問題を解決しようとしたとき。
サポートは紋切り型の回答を繰り返すだけで、全然問題の解決にならず、結局iPhoneがバックアップから復旧することはなかった。
「ああ手厚いサポートだ。Apple製品使っててよかった」と思うことはできなかった。

いい加減引きずりすぎかとも思うけど、2010年頃のiPhone4の頃からの写真やLINEのログ、その他がバッサリ消えたのは本当に応える。
時間にして5年ほどの記録がバッサリ消えたのだ。
写真なんかは他の手段でもバックアップが可能だし複数の手段を取っておく必要はあったよな……と思うことは今でも数知れないし、そもそも、iPhoneを初期化することについてもっと慎重になるべきだった。
でも、それまで何度もバックアップから復元してきたのにできないなんて思うはずないじゃん?

そんなとき、もしも一対一で対応してくれるGeniusBarに持ち込んでたら変わったかなと思う。
サポートセンタはどうしてもその都合上電話が途中で切られたり、他の担当者に変わったりということもある。
サポートセンタのいかにもマニュアル読んでます。みたいな対応を、まさかAppleにされるとはその頃は思ってなかったのだし、今でもGeniusBarに行ってそう行く感じを受けることは少ない。
こういうどうしようもないサポートを受けてしまうと、Appleの顧客が本当に増えたんだなと思う。
だからと言ってかつての水準を保つ努力をしなくていいことにはならないけど。

せめて……と思って今2015年くらいの写真から復元を試みてるけど、Appleの箱庭仕様によって単に「抜き出した写真を入れ直す」ってことはできなさそうで頭をかかえる。
iCloud経由で写真が全て同期されると言っても2,000件を超える写真がWi-Fi経由で転送されるのを
待つのは時間がかかりすぎる。いつまでたっても写真は再生できない白いサムネイルのままだし、そもそも自動でオリジナル版をダウンロードするようにはなっていないらしく、ズームしようとして初めてダンロードが開始される。
しかもiCloud写真を無効にしようとした時のメッセージを見るに、ダブルタップしてズームしてダウンロードを促してもオリジナルサイズがダウンロードされるわけではないらしい。

まぁとは言っても、バックアップから復元できなくなって新規にiPhoneを設定した後かつ、今でも確認できるだけのたった2,000件だけど。

昨今の携帯は……などど言う必要もないくらい昔から、「写メ」とか言っていた時代から、携帯電話は僕らにとっては一番有用性の高いカメラだし、そうでなくてもネット上からダウンロードした画像やスクリーンショット、平たく写真、画像と言えるものを一番取り扱っているのは携帯電話。
これをちゃんとパソコン、私の場合はMacBookに、iPhoneとは別にバックアップを取っていなかったのは落ち度としか言えない。
でもサポートセンタに電話した時は「iPhoneが復元できないのは大層ご不安でしょう。ご安心ください、問題解決に全力を尽くします」と言って安心させてくれたのに、結局紋切りの回答しかなく、復元を諦めた過去を振り返ると、どうしても遣る瀬無い。
iPhoneが今尚人気なのは結構なことだが、あの時、それまでのデータが断絶してしまった時、Apple製品を使っている安心感や信頼感は断絶したように思う。

でもどうしてもiPhoneが好きなので、結局戻ってきてしまうのだ。

iPhoneの中で使っているサービスはGmailにGoogleカレンダー。
あの時、Googleフォトも使っていればよかったかも知れない。
iPhoneを使う意味って何だろうな。Apple製品の何が好きなんだろう。



最近眼鏡を新しく買った。
昨今の眼鏡は大層安く買えるが、奮発してお高い、いい眼鏡(のはずだ)を買った。
眼鏡っていうのはアフターサービスがつきもののような感じだけど、今後この眼鏡と、メーカーと、どんな付き合いになって行くのだろう。

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以前から何度かこのブログを始めとするどこかで引き合いに出していた、「インターネットやSNSの普及によって自己が拡大していく」という言説が一体どこから来ているのものなのか、ようやくわかりました。

以下引用
従来のメディアでは、個人が公に対して発言するには、その機会獲得などのさまざまな困難や、編集者などによる校閲が伴っていた。良くも悪くも、この距離こそ、思いを思考に、一面的な思念を客観的な意見へと練り上げるものである。
しかし、インターネットにおいては、気楽に書き連ねた文章を、自分のコンピュータに保存することと、ネット上に公開することとの差は、二、三のキー操作の差に過ぎない。従来のいかなるメディアとも異なり、インターネットでは、〈発送〉と〈発表〉との間の落差がほとんど存在しない。(略)さまざまな情報とともに、何億もの個人のとりとめもない思いや理解や誤解がネット上にあふれる。これらは呼び出されなければ、無言のままにとどまっているが、ひとたび検索の網にかかれば、強大な力を発揮することになる。(黒崎政男『身体にきく哲学』NTT出版・2005年)
引用ここまで


高等学校の国語の教科書にも採用されているようで、よく考えたら模試か何かで読んだ気もします。
実際のところ、この本の主眼はインターネットの普及による自己肥大化ということには全く置かれていなく、この文章のあるところでは大まかに、
1、「世間」の縮小化
2、デジタルテクノロジーの普及によって「世間」にさらされた私の行動がデータベースされていく
ということの二点に置かれているようでした。

2、の私の行動がデータベース化されて行くというのは、単純にあちこちに履歴が残るということと、それを参照することで一瞬にしてそこに記録された「私(わたし)像」ができあがるということ。何か事件を起こすと卒業文集を晒されたり、ツイートを晒されたりして、「私像」が作り上げられて行くってやつですね。

本書では、その様子をフーコーの一望監視装置に例えていました。一望監視装置(パノプティコン)は、社会科の授業などでもやるのかもしれませんが、近代権力の様態を抽象化したもので、監視対象を主体的に従順なものにするというもの。
「いつ監視されているかわからない」状況に置いておくことで、「いまは見られてないから…」という慢心を起こさせず、囚人に常に従順な姿勢をさせることができるというものです。例えば、試験監督は、教室の前にいるよりも、教室の後ろにいて「見られていると学生に思わせる」ほうが試験の不正行為は減るといった論で使われます。確かに先生が教室の後ろにいると机の下で携帯をいじるわけにもいきません。
フーコーはこのような状態を、「自己の内面に監視者がいる」とし、「規律の内面化」としました(確か)。本書では、「規律の内面化」よりも、「いつ監視されているかわからない」ということに注目して、さらにその監視の履歴を参照することができるようになった。と言います。
このように絶えず監視され、有事の際は参照される私たちの記録ですが、何もインターネット上に発信したことだけに限るわけではありません。例えばインターネットの閲覧記録、例えば電車の乗車記録、例えば街中に設置された監視カメラ、例えばATMの利用記録、例えば電話の通話記録。 そこかしこで知らず知らずのうちに私たちは監視され、記録されています。

さて、上にあげた例のうち、一つはちょっとだけ持っている意味が違います。
それは街中の監視カメラ。
監視カメラが記録するものは私たちの物質的な身体を映したものです。他の例は電子的な情報を記録するものでこれだけわけが違います。この監視カメラの例で「私」を「私」として証明するものは私の身体ということになります。


最近はインターネット等のデジタルテクノロジーの普及によって、物質的な距離や空間はいとも容易く飛び越えることができるようになっています。映像の視聴、画像の閲覧、商品の購入、そしてコミュニケーションさえも。極論、Googleマップがあれば、現場に行かなくてもその様子は見ることができますし、絵を見るだけならば美術館に行く必要もありません。店舗を構える必要のないインターネット上のお店のほうが商品を安く売れますし、コミュニケーションが言葉を交わすことなら、遠隔的に言葉のやりとりができれば会いに行く必要なんてありません。
デカルトが「我思うゆえに我あり」と言ったように、私たちは身体なんて必要ない、思考する言葉さえあれば良い。
最近は、と言いましたが、インターネットの普及以前だって、TVだって遠隔地の情報を届けるもので私たちは自宅にいながら地球の裏側の情報を知り得ますし、そんなのはラジオだってそうですし、むしろ本だってそうですし、デカルトの言葉が残っていること自体が、私たちが身体を置き去りにして思考を主体として発展してきたことの証左と言えるでしょう。もっと言えば文字の発明が、私たちの言葉、つまり思考を、身体的なものから離脱させ、空間や時間といった三次元の物体的なものから乖離させたとも言えるでしょう。


しかし、「監視カメラに記録された映像によって私が私として認識される」というのは、私とから離脱していたはずの身体が、「私」を「私」として決定づけてしまうことになります。監視カメラに限らずとも、静脈認証や光彩認証などの生体認証が進んできたこともこの違和感に拍車をかけている。
「私」は「言葉」によって「私」になって「身体」は関係なかったはずが、「身体」によって「言葉」は関係なく「私」は「私」とされている。


「我思う故に我あり」じゃないんですか……




というのがざっくり、この本旨。

最近はSNS上で知り合った人と会ったり、地方に住んでる人が「東京○○」とか言っているのを妙な違和感を感じながら見てる。
こんなにインターネットやデジタルテクノロジーが進んでも、物質的な距離はいかんともし難い。
「私」を形作るはずの「思考」たる「言葉」を共有するのにはほとんど時間的空間的制約がなくなったのに、身体的物理的な距離は縮められない。
こういうことを考えるようになる、この本みたいなものが世に出るということが、文字の発明を皮切りに、「私」を「私」たらしめる「言葉」の共有で発展してきた歴史が行き着くところに行き着いたと示している感がありますね。
なぜって「言葉」と「身体」が一致ないし近い距離にあったときには、その乖離を話題にする必要がありませんもの。

結局、「我思う故に我あり」っていうのは、あまりにも全時代的な言葉過ぎ。
「言葉(=思う)」と「身体」が同じ空間にあったからこそ「身体はなくて言葉が私を私たらしめる」とわざわざ言う必要があったということ。


結局、「私」は「身体」から逃れられないのかなぁ……

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最近「ブログの更新したいけれどネタがない」とか言っていたように、ちょっとブログの更新をしたい気分でした。


私の部ブログは本当にごく少数のいるのかわからないような読者に向けたもので、それこそ供給過多となっている作者の典型例のようなものです。


だから、基本的には何を書いてもいい。キーボドに向かって(カチャカチャカチャ…………ッターン!)としたいという欲求なのかもしれません。もしくはブラインドタッチの練習をしたいとか。




ネタがないけれどブログを書きたいってのはきっと文章が書きたい衝動なんだろうと理解するのですが、ではなぜ今やってるレポートは全然進まないのか。






今となっては大人気ソーシャルゲーム「アイドルマスターシンデレラガールズ」をやるだけのモバゲータウンとなってしまいましたが、中学時代に入会して高校2年から浪人生にかけてもっともSNSとして機能したモバゲーはそこそこ……いやかなり楽しかった。


日記を移植しながら当時の日記を読み返したりそのコメントを見たりしてるとなんか感慨深い。以前も言った気がするけれど、当時は日記を大量に生産しては大量に削除していたので記録がそこまで残っていないことが寂しい。


しかし一般的なモバゲーユーザー(知らんけど)に比べたらそこそこの量があるんじゃないだろうか。


日記を読み返すと痛々しいとまでは行かないが、「若かったんだなぁ」と思わないでもない。そんなの、この日記を読み返した将来の自分が間違いなく言う台詞だってのは重々理解していますけれどね。



日記を読み返す作業は好きです。そして日記をつける作業や時の自分の気持ちを叙述することも好きです。


自分にとっての世界というのは、自分の五感の及ぶ範囲のみ。当時の気持ちも時の自分の五感が及ぶ範囲のみによって形成される。そして、五感で捉えた「事実」の解釈はその時の考え方や持ち合わせている知識理解によってなされるもの。つまるところ、時間とともに世界は変化するものどころか、あまりに世界ってのは不安定で流動的で、だからこそ当時の世界を叙述したものを読み返すのは面白い。


人間は「記憶」や「予期」によって世界を四次元的に把握していて、それはつまり目の前に展開する世界だけでなく、過去や未来にあった世界や起こり得る世界を幻視することがでるってことだけれど、(こういう叙述をするとき、「人間だけが~できる」という叙述を見ることが多いけれど正直その言い方は好きません。たしかに人間はそうであるけれども人間以外がそうでないとはどうして言えるのか。それこそ、「自分にとっての世界は相手にとってもそうであるだろう」とする考え方ではないのかと。)その営みを真っ正面から行っていることになるんだね。日記を見返す作業というものは。






最近、「世界とは」「存在とは」「言葉とは」とかっていうどうにも哲学的な問いかけに直面することが多くて参る。


「哲学とは何ぞや」というというに対して「考え続けること」と答えた人は本当に的を射た答えだと思うけれど、同時に「何言ってんのお前」みたいにも思える。何も答えてなくねそれって。ただまぁ、事柄を「普遍性」「論理性」「客観性」で以て説明して答えを出そうってのは科学の仕事であって、近代の哲学は科学を否定するようなものだから、そういう意味では近代哲学にふさわしい答えとも言えるかもしれない。




なんなんでしょうねこの雑記とも言えない何かは

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あまりに課題の進捗状況が悪い上に行き詰まったので頭を切り替えようと思ったんだ……

最近、友人との会話にiPadが登場することが多い。だからって訳でもないが、自分もiPadが欲しくなってくる。

正直なところ、iPadはいったい何に使えばいいのかよくわからない中途半端なデバイスなのだが、それは一応電子書籍リーダーなのだと自分の中で結論づけたことがある。それがiPadが世に出た直後のことで、アップルの新製品が自分は変えないということをなんやかんやと理由を付けて正当化しようとした結果が、「何に使うんだこれw」ということだったのだろうと思う。

それが最近になってまたiPadが欲しくなってしまっている。それは友人との会話に頻繁に登場するからというのが一つと、自分の本棚が明らかな容量オーバーを起こして一度倒壊したからというのが一つ。そしてもう一つ、授業中に、「もっと本を読め」と発破をかけられたことによる。正直最近の自分の文章力は、確かに一番本を読んでいた時期よりも明らかに下がっているように思う。TwitterやLINEに対する依存が高まってきて、改行の習慣や、長文を構成する能力がなくなってきているように思えるのだ。

本を読まなければ文章力の向上が見込めないといい、文章を書かなければ文章力を磨くことはできないと授業ではいうわけ。
そして私たちは言語を用いて思考してそれを発する訳だから、文章力の向上=言語能力の向上=思考力の向上と繋がっていく。少なくとも、思考した結果を発することができなければ、いかに崇高な思考をしようともそれを言語化できなければ意味がないよね。自己完結してもわかってもらえないよね。ということかな。

ということで読書をしようと思うんだけれど時間もなければ本を買っておく場所もない。
ということで電子書籍に目を付けた。買っておく場所に着いては言わずもがな電子書籍にそのような心配は無用な訳だし、時間については、普段iPhoneの画面を睨みつけている時間のほんの三分の一ほどが読書の時間に変われば、それだけで何冊の本を読むことができるだろうという考え。肌身離さず持ち歩くものだし。
そこまで考えたところでiPadを買う必要はないことに気がついた。iPhoneでいいじゃないか。

ということでiPhoneの電子書籍リーダーであるところのiBooksとKindleアプリを使って移動中の電車の中、歩行中、散髪中に夏目漱石『こゝろ』を読みふけってみた。以下はその比較。

iBooks iBooks - Apple
良い点
・ リーダーの触り心地がよい。
・ ページめくりのアニメーションがよい。
・ リアルな紙の本にこだわったユーザーインターフェイス。特に、見開きにしたときの中央の溝、左右のページが重なったデザインがとてもよい。
・ マルチタスクでアプリに戻ってきた際も同じ画面。
悪い点
・ 文字の大きさの変更幅が小さい。最小の設定でもまだ大きく感じる。
・ 文字がそろっていない。妙に短い行や長い行が存在することがある。
KindleアプリKindle - AMZN Mobile LLC
良い点
・ リーダーの文字サイズの変更幅が広い。無意味に巨大化しない。
・ きちんと文字がそろっている。
・ マルチプラットフォーム(iOS、Android、Windows)
悪い点
・ ユーザーインターフェイスが機械的。
・ ページめくりがスクロール
・ マルチタスクでアプリに戻ってくると本文表示の前に読み込み画面が入る。

細かいことだけれど、細かい使用感っていうのはとても大事……。
とくに読書に関していえば、文章を追いながらもそれを感じることなく情景に没頭するには些細なことで気を散らすわけにはいかない。

そういえばiBooksはPDFリーダとしてもかなり優秀なので、おすすめ

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斜陽の王国というイメージで語られることもあるイギリスだが、そこの国の言葉、即ち英語は今や世界共通語ともなる地位を手に入れている。一方眠ったまま殺されたと語られる中国発祥の漢字はその姿形を変えアジアに分布し、その文字数は他の言語の追随を許さない。
1字を正方形のマスに見立てる事の出来る漢字や、漢字を基に生まれた仮名に見られる大きな特徴は縦書き、横書きのどちらにも対応できるということだろう。漢字や仮名は原則として縦書きされることを想定して筆順や自体となっているが、左から右への横書き、左横書きにのみ対応しているアルファベットと比べるとその柔軟性は一目瞭然だ。

この漢字仮名交じり文の使用や、縦書き文化は印刷技術や情報機器の発達に大きな課題となって立ちはだかったという。確かに活版印刷の原理を考えたら、漢字は字数が膨大である上、縦書きの仮名崩し字を活版で印刷しようとするのはどう考えても逆に効率が悪い。
今となっては情報機器の発達で日常的に使われる漢字の大部分はサポートされているし、ワープロソフトも縦書きをサポートしている。以前利用していたノベルサイトでは「縦書き表示にも対応しています」と言いながら、実態は縦書き文書の画像が表示されるということもあったが、最近はそういうこともなくなり、アップロードしたファイルを縦書きに変換することも出来るようだ。恐ろしいことにサイトを縦書き表示するブラウザというものも開発されているようである。パソコンの発達で一時期は漢字や縦書き廃止という説も出たそうだが、実際のところ実文化を変更するよりもパソコンを発達させる方が速かったと言うことか。

日常的に縦書き横書きを併用している私達だが、どうしてだか、小説や評論などの長い文書を読むときは縦書きを好む傾向があるようだ。特に、新聞などの文書が横書きというのは謎の違和感を覚える
……


最近文章を書いていなかったのでちょっと練習。

最近おすすめのアプリはこれです。
たて書きコラム - Ryo Ishikawa
各社新聞の社説を縦書きで読めるというアプリ。文章が縦書きなので画面を横にスクロールします。
(今回の記事はこのApp Storeのリンクを埋め込むのがやりたかっただけなのだ)

実際、縦書きや横書きの使い分けってその文章の量や内容ではなく、その書式に依るものが大きい。ウェブサイトなんかは縦長なので横書き。ワープロの発達の舞台が北米とか欧州なこともあってパソコンの標準は横書きって漢字がするけれど、実際、日本がウェブの先陣を切っていたら縦書きになったかと言うとあやしい。そもそも縦書きを使用する文化だって世界的に見ればそう多くはないわけだ。
漢字を使用する上で弊害がないなんて言わないし、ガラケーと呼ばれた携帯電話の発達のように、文化に固執して世界から取り残されることがいいとは言わないが、「折角」、数少ない漢字を使う文化なんだから、「折角」数少ない縦書き文化なんだから、大事にしていきたい。だってなくなったらもったいないもの。

とかなんとか。

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更新があまりにも途絶えていたので広告が表示されてしまいました。
まぁこのブログを定期的に見ている人はいないだろうと思うので別にいいのですが。

ということで前期の試験が全部終了しました。今日。
やったー
ところでレポートはまだ二本残っていますが。

先月の最終週からレポート漬け試験漬けで正直生きた心地がしませんでした。
一番面倒だったのは漢文のレポートですか。なんと、漢文の白文を手書きで写してそこに返り点送り仮名を付けて書き下して、現代語訳と語注を付けるという内容でした。しかも全部手書き。
その上に面倒なことは、参考文献のコピーを添付しなさいというもので、禁帯出の図書を探し出してはコピーしてと異常に面倒な作業でした。しかも参考文献を添付するって、それを見てやれって事なので、現代語訳に語注なんてその文献を手書きで写すのと全く変わらない作業と相成りました。
なんで大学に入って文献の写本なんぞしなければならないのかと言う……

「手書きだからこそ頭に残る」なんて考えているのなら時代錯誤も甚だしいものだと思いませんか。正直、漢文を手で書くからこそ理解が早まるなんて根性論に近いものを感じます。義務教育の漢文教育だって「教科書の漢文をノートに写して現代語訳してみよう」なんて日本全国たぶんどこでもされていることでしょう。そういうことがまかり通っていることってなんか問題だと思います。本文丸写しなんて、時間と労力と筆記用具の無駄。

その点、まだ残っているレポートはワープロで作成して教授にメール添付で提出と、なんとも今風。
情報革命というか、IT革命が起こって随分経つというのに、旧態依然としているのは見苦しいと思うんですよね。


とは言え、紙の本廃止とか言われたらたぶん駄々をこね続けるでしょうし、未だにCDを買うのが大好きな私です。
自分に都合がいいことだけIT化して欲しいのですね。勝手なことだけれどまぁ物事は塩梅が重要と言うことで。



革命つながりで、今日MacOSXをMountainLionにアップデートしました。
Twitter連携やそのあたりはこの記事を使って試してみようと思っているので何とも言えませんが、リマインダーの独立やメモアプリなんかはすごく使い勝手が良さそうです。

Macは中学生の頃からあこがれていたコンピュータですが、購入に踏み切ったのはiCloudが異常に便利そうだったからです。Windowsを使っているときもiCloudコントロールパネルを入れて使ってはいたのですが、正直IEは使ってないしOutlookも以て内侍で意味がすごく薄かった。
まぁMacを買ってからもブラウザはOperaを使い続けたのですが……しかし今回のアップデートでSafariも随分使えるようになったらしいです。いままでほとんど使わずにいたのでよくわかりませんが……

何はともあれ、今回のアプデはiCloud連携がかなり強化されているみたいです。リマインダーしかりメモしかり。
最近はTwitterが自分の中で再加熱しているのでその連携が気になるところです。

しかしこの文章はメモ.appで作成してるのですが、正直意外と重いですね。日本語入力はATOKを使っているのですが、変換に時間がかかっている印象。スペースを押してから表示されるまでややタイムラグがある感じ。まぁその間にも次の文字が打てるので、いきなり何文字もパット表示される感じでしょうか。しかし検索候補を表示しようろスペースバーを連打すると即ビジーアイコン。なんなんだか……

ATOKじゃなくてことえりだったらスムーズなんでしょうか。


とかなんとか

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最近のわたしのトレンドはめだかボックスだったりします。
アニメ化に関連するわけではなく、原作で言うところの「後継者育成編(?)」のあたりから面白くなってきた気がします。まぁ球磨川が出てきたあたりから急に面白くなってたのですが、後継者育成編で加速したとでも言うべきなのか。そもそもわたしの中では球磨川がどこら辺で登場したのかよくわかっていない……めだかボックスは単行本を買っているわけでもなく、ジャンプは立ち読み派で話しの骨子はわかってもそれも背骨のような太い柱だけで小骨のような枝葉末節や関節のような話のつなぎやそもそも骨ってどんな順番で並んでいるの? と言った有様で球磨川が登場した当たりから単行本を買おうかしらと考えていたところでした。

それもめだかボックスのアニメ化によって中古市場が高騰してかなわぬ夢となったわけですが



多筆家で知られる西尾維新の著作は数多く、その中でも代表作と言ったらやはり<物語>シリーズなのでしょうか。しかし<戯言>シリーズも間違いなく代表作でしょうし、「西尾維新と言ったら」という設問に対して「<戯言>」と答える人間は「<物語>」と答える人間よりも多いでしょう。
わたしは「<戯言>派」です。と言うかメフィストにデビューした当初から読んでましたし。
中学生かそこらの当時は西尾維新大好きでしたが、個人的には<戯言>と<世界>を読んだのでもう満足です。でも<物語>読んでみたいなぁ。
シャフトの演出や表現はかなり好きで、だから化も好きだしアニメで満足するものありかなぁとも思いますが、やっぱり西尾は読まないとなぁと思ったり。アニメはアニメ、原作は原作、で好きになりそうな予感。

西尾維新文庫で化物が出たら買いますよ。講談社ボックスは紙がいいわけでも表紙がいいわけでもなく、むしろ本そのものの質は低いものなのにあの値段では全くもって買う気になりません。バカにしてんのか



で、話は逸れたけど結局言いたいことはめだかボックスおもろいよ、途中からは。ということですかね。
球磨川が出てくるまでは不知火半袖がかわいいだけの漫画なので……まぁ狂言回し不知火のレトリックの効いたセリフ回しも何気なく西尾風で楽しい。

これから読むなら単行本お勧めですよ。各話の前の白いページにおまけの一コマ漫画がついていてそれが毎回面白くて作品+それでなんだかお得感。


あー
多少高くても買おうかしら。でもちょっと前までの¥350が¥400じゃ買う気になりませんよねぇ

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このブログが死んでいた一時期にmixiに書いていた日記を転載しました。
ブログの更新時にはその記事の投稿時間まで指定することができるので当時の時間に合わせて、あたかもその日付にブログを更新したかのように。


最近ネット上に自分の個人情報を書いてしまって問題になるケースが増えているようですが、特にmixiやTwitterにその傾向があるみたいですね。
Twitterはその投稿の手軽さに柵が低くなっているのか、まるでメールのように相手と相互にコミュニケが取れるからなのか。DMと公開ツイートを取り違えて個人情報をばら撒くということも笑

Twitterは鍵付きでもない限り一つ一つの発言にURLが紐付けられた公開文書なわけですが、それに対してmixiはなんとなく閉じたコミュニティの用な感じに錯覚してしまいますよね。
当初は招待制であったという背景や、マイミクというシステムの為なのか。しかしその実態、「全体に公開」である限りmixiの会員ならばその文書を読めるわけなので全然閉じているわけではない。

Twitterもmixiもデフォルトの設定が公開状態なのもどうかと思いますよね。ネット上で個人情報を書いてしまう様な人間がそもそも公開状態なんか気にするわけないし。


話がそれてしまいましたが、mixiにあげていた日記というのはどうしてもマイミクやリアルの友人を意識した文章や内容になってしまうので、ブログに転載するときには大筋を変えない程度に文章を書き換えないとならないのですね。
と言っても大して変えてないので場合によっては特定も用意でしょうが……


ネットリテラシーというのも、それなりに重要なのですね。
とかなんとか

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東京は調布を離れ帰省したおり、祖父母と家族で旅行に出かけました。
とは言っても祖父母にとっては遠出というわけでなく、地元のホテルに宿泊したという印象なのでしょうが。

仙台秋保温泉のホテル瑞鳳に宿泊してからの日本三景松島のホテル大観荘のレストランという流れ。松島からは祖父母の家に行き一泊。

こうして書いていて気がついたのですがホテル瑞鳳、ホテル大観荘はGoogle日本語入力の予測変換で出てくる。ということはそんなにも検索されているのかと驚くことしきり。確かにすごく豪華なホテルでした。あんなの何年ぶりだろう。
瑞鳳で泊まった部屋は次の間&離れのついた驚きの広さの部屋で、八人という大所帯でも余る勢い。ホテルのロビーに川があって建物の中に滝があって、カメラを持っていったものの館内をばしばし撮影するわけにもいかなくて残念! まぁ気になった方は公式サイトのギャラリーでも見てください。
ホテル大観荘は以前泊まったことがあるらしいが駐車場に上がる急な坂道しか覚えがなくていったことはあるのだろうが泊まった記憶はない。一体いつのことなんだろう。レストランで頂いたフレンチはとても美味しくてしかしあれが一人2,500円っていうのはどうなんだ、安すぎやしないか。日本三景松島を一望できてとても素敵でした。月の出るタイミングをあわせれば月の橋が見られるらしい。ぜひ行ってみたいものです。



旅行記というには貧弱で、なんとも形容しがたいこの駄文をブログ更新という名目のものとに捧げます

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雨が降るというので傘を持って駅まで歩いて髪を切りに行きました。
正確に言うなら駅まで歩いてそこから電車に乗ったわけですが、そんなことはどうでもよくて、バスに乗るような雨ではなかったので最寄り駅まで歩いたのでした。

最寄り駅までは徒歩20分くらいでバスはちょうど路線が自宅から離れています。自宅最寄りのバス停から出ているバスは最寄り駅から2つ離れた特急の停まる少し大きめの駅に向かっていくので。
夜になるにつれて雨が強くなるとのことなので帰りは特急で帰ってバスに乗ろうと考えていました。


散髪を終え、せっかく電車でここまで来たのだからと日本一の繁華街で何かして帰りたいなと思ったところでミスドが百円セールをやっているのを発見。ちょうどポイントカードの更新ができる時期に入っていたのでそこで一服しようと考えたのですが、どうせならおかわり自由のコーヒーを頼んで文庫本とじゃれ合おうと思いつきました。
そこで回れ右をして紀伊國屋書店へ。よくわからないけれど一時間近くそこにいて、結局一冊の文庫本を手にして退出。本を買うなんてものすごく久しぶり。米澤穂信『柘榴』が収録されたMysterySellerを購入したのですが、いつから始まったのか、紀伊國屋ポイントカードなるものをやっていて入会してきました。
本屋のポイントサービスっていうのは多分、HonyaClubが一番大きいのではないかと。加盟店多いし。自分が初めて入会したのは地元の本屋のHonyaClubでした。これってHonyaClub加盟店ならポイント共有できるとか多分ないよね。たぶん、それぞれのチェーン内でないと。今は最寄り駅前にあるLIBROがHonyaClubに加盟しているのでそこでお世話になることが多いのですが、この紀伊國屋ポイントカードはそれではありませんでした。還元率は100円⇒1ポイント=1円とまぁまぁよくある還元率。HonyaClubとも同じですね。一応繁華街に行ったら何かと立ち寄ることの多い紀伊國屋ですが、あまりお世話にはならない気がする。

正直本を買ってポイントが作って言うのは少し前まであまりなかったのではないでしょうか。クレジットカードで買い物をするとかなら話は別ですが、厳密にいえば本の買い物にポイントが付いているわけではないので。それこそヤマダ電機が書籍の取り扱いを行なっているのが稀有な例だったような気がします。HonyaClubはそんなにも加盟店を増やしているのだろうか紀伊國屋の脅威となるほどにと邪推していしまう。そもそも紀伊國屋ポイントカードがいつから始まったのかも知らないで語っていますが。ちなみに期間中(3/20(火・祝)〜4/22(日))に紀伊國屋新宿本店、新宿南店で入会すると100ポイントもらえるらしい。


それはともかく、目的はポイントカードに入会することではなく文庫本を買うこと、ではなく、ミスドで一服することだった。ということでミスドに向かうも満席。じゃあ仕方がない。特急に乗って駅まで行ってそこにあるミスドに行こう。そこからバスで買える予定だったしと完全に目的を履き違えて電車に。
しかし全然雨強くならない。じゃあ最寄り駅で降りて歩いて帰ればいいんじゃない? いやいやミスドに行くならそこじゃダメでしょ。でも目的ってミスドに行くこと? 雨を回避するためにバスに乗るためでは。つかそこのミスドなら買っても持ち帰って自宅で食べればいいじゃないか。あーそっかぁ。じゃぁミスドでドーナッツ買って帰ろうついでにポイントカードの更新もしてこよう。どうせそこからバス出てるんだし。いやいやバスに乗るのは雨を凌ぐためでしょ? 雨強くならないじゃん。あれじゃあミスドのある駅まで行かずに最寄り駅で降りればいいんじゃ。いやそれだとミスドに……


あれ、なんで文庫持ってるのこれ繁華街のミスドでドーナッツ食べながら読むはずでは


あれあれあれあれあれあれあれあれあれ


結局ミスドでドーナッツ買ってバスで帰った。
ドーナッツ美味しかったです。桜味シリーズなるものが出ていて、桜ホイップが一番美味しかったかな

文庫? まだ読んでないけど

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更新という程のことでもないが、ブログの仕様を若干変更してみた。

Htmlを直接変更できるのはやはり便利なものだと思う。高度な設定はできないけど……
「自分のホームページを持ちたい」と小学校のころ父親に相談したことがある。父親の概略てきな説明では枠を幾つもつくってそこに画像を入れたり文書を入れたりして作るんだといった内容だったと思う。確か。
今になって思えばそれはいわゆる「テーブル」「テーブルレイアウト」のことで、当時はCSSなんてそんなに一般的じゃなかったのだろうか。いや今はテーブルは必要ないとかそう意味ではないけど。
結局それを実行に移したのは中学校に入ってからで、フリーのテンプレートを持ってきて、細かいところのHtmlを手書きしてサイトを作ったのだった。結局作ったはいいものの肝心のコンテンツがなくってそのサイトはお釈迦になった。よくよく考えてみなくてもわかることだがコンテンツがない箱だけなんてなんの意味もないし。結局のところ「ホームページを作る」という作業をやってみたかっただけで、何かを発表する場がほしいとかそのようなことではなかったのだ。
まさに本末転倒というか、手段ではなく目的だったんだそれが。

日記でも書けばいいじゃないかという噂もあるが、そのころはもうただ日記を書くだけならブログを使えばよかった。絵師さんのサイトだって日記の部分だけ外部のブログを使っているというのがいまでは一般的だし。わざわざHtmlで日記を書く人もいるまいて。

で、今回変更したのはHeadの部分。サイトをブックマークしたときやタブバーなどに表示されるアイコンを変更したのだ。アイコンはこちらからお借りした。ありがとうございます。

CSSの話じゃないけど、最近はブラウザによって表示が乱れるということもあまりなくなったように見受けられる。父親の影響で結構長い間Operaを使ってるけど(るなすけを使ってたこともあったなぁ懐かしい)表示がへんてこになるサイトも殆ど見かけない。

そうそう、変更といえば、今月の頭から私の環境に盛大な変化が訪れました。
ついに憧れのMacintoshを購入したのです。
OSどころか何もかもを一新する大変更ということで結構ワクワクしたのですが、時代が下ってしまったのか大した変化もないような。いや、もちろんそんなことはなく、細かいところも大きなところも上げればキリがないのですがなんというか、したいと思うことはほとんどが変わらずできる。やっぱりIntelっていうのはすごい。CPUの仕様が違ったらそうはいかないもの。正確にはIntelがすごいというか仕様・系統が同じCPUだから同じことができるのかすごいなぁといった感じで……
なんか超独自感! といった感じはなくてちょっと残念だけど、PowerPC時代のMacだったら欲しいと思わなかっただろう、というか思わなかった。IntelCPUを採用したこと、マイクロソフトと提携したことは自分に限らず最近のMacの普及に大きく関係していると思う。

なんというか、グローバル化グローバル化と言われ続けて久しいけれど、全体的に世界がひとつになりつつある気配がするような気がする。ことIT関係は先進国が支え引っ張ってるんだから当たり前といえばそうかも知れないけど。とは言えPC/AT互換機でないMacがこれから市場に増え続けるのならば、PC/AT互換機がデファクトスタンダードである時代も終わっちゃうかもしれない。


この文書はMSOfficeとの互換性を追求したオープンアプリケーションLibreOfficeで書いたもの。ファイルの形式は.docxかな。こういうアプリのお陰でMSOfficeが使えなくても(Mac用に発売されたけど)デファクトスタンダードに準拠していける。グローバル化だね。

とかなんとか


キーワード「デファクトスタンダード」

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今晩は天気がいい。確か昨日もよかったと思う。
と言いつつも、地元は夏あんまり夜間に雨が降ることはない気がします。
夏の雨と言ったら夕立で、局地的にどかっと降ってがんがん雷鳴って、光って落ちてさっとあがる感じ。

おかげさまで雨天教習の多いこと多いこと。
夕立と雷に見舞われるとぼんやりと「帰って来たんだなぁ」といった気分になりますね。
帰省する前、七月の終わりごろは毎日のように地元に大雨警報・落雷注意報が出ていて、少し心配だったのですが、帰省して訊いてみることに、

「何にもなかったよ。いつもの夕立だよ」とのことで、「あぁ。そういえばこういう土地だったなぁ」とぼんやりと思いました。


私の出身地(生まれではないが)は基本的に雷が多いらしい。
東京では年間雷日数が10日前後なのに対して県庁所在地は年間25日前後。なんと2.5倍。
地元のお菓子に「雷都名物」とか付けちゃって、自称「雷都」。ちょっとセンスを疑わないでもないけれどそういうもんなんだね各地の観光業なんて。

ただ、県北民にしてみれば「県央を基準にされても…」という気持ち。つまり年間25日じゃきかねーよってこと。


我が県にはには財団法人電力中央研究所の実験場、通称「かみなり研究所」があって、そこでは雷による被害の軽減化とか、雷から電力を得る方法とかを模索しているらしい。そんな研究所があるなんて、それだけ雷に恵まれているんだね。わぁすごいや。
しかし、将来「雷発電」とかが開発されたらそれはそれはすごいエネルギー源になりそうだ。しかし電気から電気を取り出して「発電」とはいかがなものか。とセルフつっこみも虚しい。

実はその昔、我が県には東京電力の発電所があって、もちろん雷発電じゃなくて単なる揚水発電なんだけど、揚水発電っていうのは発電所というよりも蓄電書として機能するもの。その関係かTEPCOランドって言う東京電力のミニ科学館みたいなものがある。遊びに行ったこともあって結構楽しいところなんだけど揚水発電の展示と同じくらいの規模で原子力発電の展示があって、「原子力はこんなに素晴らしいんです」ってアピールしているわけ。
そう言えば小学校に東京電力の職員がやってきて「原子力はこんなに素晴らしい」「原子力のおかげで未来はこんなにも明るい」って講習をしに来たなぁ。

発電所と言えば東京電力でない発電所もあって、そいつはまだ動いているらしい。電源開発株式会社なんて存在を知らなかったけどこの機に東電をつぶしてくれないかな。管は電力会社の地域独占をなくすとか言ってたけどどうなることやら。



小学生のときは「すげぇなぁ」としか思わなかった原子力発電だがこんな事故が起こってしまっては小学校にやって来て安全神話を植えうけて帰った東電職員が悪魔の遣いのようだ。
福島の影響や自粛モードからか今年の夏休みは例年の三分の一の予約しか入ってなくて父親がぴりぴりしてる。まぁ彼は豆腐メンタルなので年中ぴりぴりしてるけど…。
メンタル鋼タイプの母親ですらやや参ってるみたいだし、東電が憎い。親が予約キャンセルの電話を受けてる場面によく出くわすけど遣る瀬無い気持ちになりますね。

……まぁこんな状況だから第一種奨学金に採用されたわけで、これがなくても奨学金は必要で、高校の時の予約採用では第二種だったことを考えれば…東電のおかげで利子なし奨学金を借りてるとも言えなくもないが……



教習中に夕立にあった時に助手席に座ってた教官が「この雨でまた放射能が降りますね」と言ったものだからへんな方向に思考が向かってしまった。
田舎の教習所は思ってもなかった人物が結構いる。
一年間のブランクがなければもっといろいろな人間にあったのだろう。

Sか氏の弟君にあったことで中学のときのことをいろいろ思い出して悶絶した。あの掲示板は消え去ったけど、あのノートはまだ残ってるのだろうか。
一人とマイミクを除いてはほとんど連絡取ってないし、もうクラスメイトの名前全部言えないな。結婚したり就職したり進学したり。浪人してる人もいるけど、みな大人になってて笑える。
小さいときは人間勝手に大人になってくものだと思ってたけど実際はそうじゃないみたいだということを最近になってやっと思い知ったかも。

取り敢えず、盆休みを挟んで修了検定。それに受かればついに路上教習や!

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浪人生の"浪"という字は流浪の"浪"でありまして、何が言いたいってどっちつかずということです。

一年で大きく飛躍する人もいれば、勿論そうではない人もいるわけです。


飛躍の為の羽が欲しい。飛ぶための羽が。
もしくは脚が。躍ぶ為の脚が。



見上げる空が随分と高くなると同時に、
見上げる壁も酷く高い。

あんまり見上げていたら首が疲れてしまったので俯いてみると、自分が考えていた"行きたくない大学"がすぐ近くにあった。

「この大学ってこんなに高かったんだ」
「いや自分が下がったんだ」
「莫迦な。俺は下がってない」

「そうとも」


「ただ身の丈を測り違えていただけだ」



このままでは飛べない。その"行きたくない大学"に着地するだけ。

「"滑り止め"と思ってた大学だって」
「見上げる位置にあるじゃないか」




思っていたより自分は頭がよろしくないらしい。
認めたくないけど。


今年一年で俺に下された評価はEだけでした。

成蹊成城でさえD。
最初の模試でAだった文教大学教育学部も、どうしたことかE判を叩き出すありさま。


上ばっかり眺めて下の大学の判定を出さなかったので具体的にどの程度なのかもよくわかりません。


少なくとも、大東文化大学の名前が受験校として挙がってくるくらいにはヤバい状況であることは確かです。


日駒以下なんて見向きもしないはずだったのに…


そもそも日大文理すら危うい状況です。
受験校として早稲田は教育一本に絞ることになりました。

望みがあるとしたら国語の点数が1.5倍になる国語国文学科。
ただ、国語の点数がその年の国語の平均点を下回れば問答無用で落とされるというやや博打。

国語自慢が集まったとして、どうなんだろうというのが不安で、

必然、差を分けるのは英語なんだろうと。



どの道英語がわたしの課題です。


が、英語に限っては高校二年生にだって勝てるかどうか、むしろこの発言が二年生に失礼なんじゃないかと言った有様なので…



大体、国語日本史共に偏差値が六十あって、
明治立教成蹊成城軒並みD判(立教はE)を叩き出すことからも英語がどの程度壊滅状況なのかは解って頂けると思います。


逆に言えば英語が伸びれば…

と、これは今年の始めに言っていたことと全く同じで、つまり今年の一年は飛躍でも何でもない。
ただ浪費した一年という訳です。浪人だけに。


もう模試もない。
これから先、伸びたかどうかも計る術がないということで。



あと二ヶ月です

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本日を持ちましてわれわれは十一月へと足を踏み入れたわけでごさいますね。

みなさんこんばんは。
後三ヶ月です。正確には三ヶ月半です。
わたしの受験予定としては最後の入試は二月の十九日なので。


さて十一月と言えば霜月。
霜の降りる季節ということでしょうか。
別名は神帰月ともいいまして、これは十月の異名神無月に対応しています。出雲大社に集まった神々が帰る月、というわけですね。


旧暦でこそ十月は霜の降りる冬なのでしょうが、どうでしょうか。
我々現代人の感覚から言うと十一月はまだ秋なのではないでしょうか。


しかしご安心!
今年はそんな十一月観を吹き飛ばすかのごとくに颯爽とやって来たのが冬でした!


今年は夏を延長した挙句に秋の廃止だなんでなんと住みにくい世の中になったものか!


と、何かの反乱でも起こったかのやうな天候の変換ですが、

(夏延長戦にもやってこなかった台風が今になって関東地方を直撃したことも、その一環でしょうか)

日本史選択の方ならお分かりでしょう。



日本史受験に於いて、霜月と言って思い浮かぶ事件!



つまり霜月騒動です。
またの名を秋田城介の乱。

鎌倉幕府筆頭御家人である安達泰盛の一族が時の執権北条貞時、内管領平頼綱に一族ごと殺された事件ですね。

結果として北条の独裁政治が進んだという…


他にも歴史上では十一月革命というものがあってですね、こちらはロシア革命の一環ですね。



このように十一月と言ったら乱に革命と世間が荒れる…

と、まぁこじつけも甚だしい。

しかしそんな十一月だからこそ、みなさん足元を掬われないように。
ロマノフ王朝のように倒されたら洒落になりませんから。

と、いうより寒さは足元からやってくるのでね。体にお気を付け下さい!



よし。
最近友人がイカ娘にハマっていてオープニングテーマを一日に二回も三回も聞いているらしい。

侵略は着々と進行している……!

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センター試験の出願を済ませて受験までもう間もない感じです。


ところで、わたしの第一志望校は新宿区戸山にある私立大学でありまして。
第二志望は豊島区西池袋にある私立大学です。

前者はバンカラ大学として知られ、後者は所謂ミッション系。
つまり色としてはかなりベクトルの違う方向になるわけです。



人間、何かと分類したがる生き物で、そこから生まれるのが偏見というものです。

しかし、分類がじゃあ悪かと言えばもちろんそうではなく、その分類によって図らずとも生まれてしまう人間的な魅力。



そう。ギャップです。



ツンデレも、ヤンデレも、クーデレもダルデレも、
とにかく微分に微分を重ねていけば、全てが「ギャップ萌え」の一言に集約されるわけです。

お高くとまっていた彼女が明治だったりとか、がさつな彼は実は学習院でしたとか、そういうのもギャップの一種といっていいでしょう。

わたしの友人には、金髪でチャラチャラして女性にだらしがなくて、その実医学部志望で、予備校で開かれた参議院議員川田龍平の講演会をとても楽しみにしたりと、ギャップを地で行く人がいるのですが、そういう魅力のことです。


で、その理屈でいくと、セクシーな女性がいかにもなセクシーな下着を着けていても、今一つなわけですよ。
仕事もきっちりこなして、如何にもなキャリアウーマン、頼れる先輩の下着が黒のレースだったらもう、スキも何もあったものではない。リードして下さい先輩! みたいな。大人の女性やっほー! みたいな。それはもう素晴らしいことなのですが。


クラスのマドンナが毛糸のパンツであったかしてたらほんわかするでしょう?
または白地にクマちゃんのバックプリントだったら可愛いと思いませんか?
女子高生にもなってバックプリントかよ! あぁ可愛いなぁ! ってなるでしょ?


まぁスパイラルのひよのさんがそういうキャラだったのですが、
実は妙齢のお姉さんで、仕事もきっちりこなして、でもバックプリント。みたいな。こう、何かグッとくるものがありますよね。


で、話しは面舵一杯急転換するのですが、

そのギャップを狙った志望校っていうのもありだと思うのですよね。
俺が千代田区神田いっても意外でもなんともなかろうもん。だから池袋に行きたいってわけではないのですが。

だから受験生はさ、考えたこともないような大学を考えてみるっていうのもありだと。

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九月の末日となり、いきなり寒くなりました。

と、書くと今日いきなり寒くなったかのような印象ですが…
この数日、みなさんどうお過ごしでしょう。高校生は十月を待たずに衣更えしてしまったのではないでしょうか。


衣更えが象徴するのは勿論季節であり、時間の流れ。新年度から半年が経ったことを如実に表しますねぇ。
十月と言えば衣更え、衣更えと言えば季節の変わり目であり、ならば十月は季節の変わり目、今年度の真ん中、節目であると、そんな感じでしょうか。



九月末日、
定期券を買いました。

四月、
池袋駅で父親と共に、真新しい定期券を買ったのが、ついこの間のことのように思えます。
今まで使っていたSuicaではなく、PASMOに刻まれた六ヶ月の定期券。

定期券の期限が切れる、否応なしに半年の流れを意識してしまいますねぇ。
大きく変わる為の一年が、半分…

新しく買った定期券は三ヶ月なので、半分ですらありません。もうとっくの昔に折り返し地点は過ぎているのだと、定期券が告げているようです。



定められた期間、定められた区間しか走れない定期券と違って、僕らは言うなれば青春18切符。
定められた期間、やる気さえあれば何処迄でも進める。


わたしは一体何処迄進めるだろう。今は何処迄進めたのだろう。


全く、よく出来た名前だと思いますよね。






話題は全く変わりますが、ゲーム買いました。


先に言ってしまいますが、ポケモンじゃないですよ。

PSP専用ソフト、空の軌跡が待望の続編、『零の軌跡』!

勿論PSP本体は家にあるので今年中にはできませんが…


二月二十二日!
ゾロ目の日にある最後の入試が終わったら…


寮には三月一杯いられるので、積極的に帰ろうとは思いません。
自室でゲームに浸ってやんよ!



とまぁ、これからはそこを目指して突っ走ろう。

そんな日記です。まる

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食事欲求、性的欲求、睡眠欲求

生物の三大欲求として広く認知されている欲求ですが、もちろん物事には限度というものがあります。


今朝目が覚めたら八時。
むしろもうすぐ九時になろうかという時間でした。ここまでの寝坊は久しぶり。

目覚めた後、ぼんやりとした頭で(余談ですが、八月の寝起きの悪さはたいていの人の1.2倍くらい悪いです)携帯をいじっていたら、友人が起こしに来てくれました 笑


取り敢えず、予備校行こうと言う友達を待たせつつ支度して予備校へ。


寝過ぎて具合悪い。

頭がしゃっきりしないよー

体重たいよー

体重51kgだよー

痩せたよー


みたいなみたいな。

面倒なので、以下箇条書き


://取り敢えず、明日は友人の誕生日なので、彼の部屋の扉に「誕生日おめでとう」と書いた付箋を迷惑になる程度に貼っておきます。


://明日は模試なので、明治大のリバティータワーに登って来ます。

://昨日、入間人間が新刊、『電波女と青春男』が発売されていたので買いました

://昨日、個人的ラノベ傑作選一位二位を争う『サクラダリセット』新刊が発売されていたので買いました

://昨日、『四ッ谷先輩の怪談』の新刊が出ていたので買いました

://去年の冬、「めちゃくちゃつまらない」と珍しくもけなした『ココロコネクトヒトランダム』の新刊が出ていたことを知りました。まじかよ。買ってみようかしら

://昨日、Twitterの米澤穂信先生のアカウント、出版社のアカウント、両方で新刊の案内が出されていました。

どうやら11月に東京創元社から本格ミステリ『折れた竜骨』がお目見えらしいです。

このとき程Twitterやっていてよかったと思ったことはありません。新刊楽しみだ!
ちなみにフォロー募集中でございます。


……どうも、Twitterやmixiボイスで短文ばかり書いていると長文が書けなくなるようです。今日現代文の要約をしようとして、各段落の要旨は書きだせるものの、全体像が出来上がらない、そんな感じに似ています。


では、前編はここまでです。
後編は模試のダイジェストでお送りします。それではみなさん。

夢の中ではお幸せに。お休みなさい

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秋からは、演習が多くなっていくらしい。
その為には、夏休みの間に前期の復習を終わらせる必要があるとかなんとか。

夏が終わろうとしています。
最初で最後の飛躍の一年(理想)も、半分を超えました。

自分はこの夏、どう過ごしていただろうと振り返ってみる。

自宅にいると、現役の頃の夏まで振り返るようで。机に向かっているだけの姿が今の自分と被る。
部屋が違っても、机が違っても、そこに広げられる教科書は同じで、
同じ単語帳、
同じ用語集、
同じ参考書、
やっていることは去年と同じ。
去年もやったのに、同じことを学んだはずなのに、
読めない英文、解けない問題、覚えていない単語に年号。
一度やったのに、二度目でもできないことが不思議で、他人は一年(或は三年)でできたことが自分にはできない。まだできないいうことが不甲斐なく感じられる。

変わらないとならない。

去年の自分にできなかったことができるようになるには、

同じ自分では駄目なのだと、

年度の始めに言い聞かせたはずなのに。

大きく変わることはかくも大変で。

頑張ろう、と、僕は呟いた。

受験勉強が何を学ぶものなのかって、英文が読めるようになったり、計算ができるようになったり、そういう基礎教養を身につけるいみは確かにあるだろうけど、

どうも本質は自己管理力の養成にあるらしいです。

「東大に合格したってことはすっごく勉強したんだろう(勉強が上手いんだろう)。それだけの自己管理力があるなら仕事を任せても大丈夫だろう」

つまりはそういうことで。
例えば医歯薬獣医のような専門性の高いところなら話しはまた変わるのかもしれないけど。
文系の文学部や教育学部なんてそんなものでしょう。

自己管理力。

わたしに足りないものの筆頭ですね。

五日間。
自宅にいた期間。
去年の自分を置き去りにして東京に戻りました。

勝手に飛び出して勝手に辿り着いたこの街だけが知ってるよ。

さて、置き去れるだろうか

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その真偽はさて置き、世の中にはテレパスと呼ばれる人物がいるようで。
テレパシーと呼ばれる能力。日本語では精神感応というらしい。

相互通話が可能なら、便利な能力だねと幼心に思った記憶があったりなかったり。


時は平成22年。
わたしの携帯では何故か平成2010年とか表示されるんですけど、そんな莫迦な。今上天皇は化物か。

携帯電話が普及したこの時代。
誰もがテレパスのようなものですね。

何が言いたいって、今日友人から電話がかかって来たのが地味に嬉しいということ。
スーパーただ友タイムを逃してもSkypeで通話。
とは言え、電波が悪過ぎて通話になりませんでしたが。早々に切り上げるこの不甲斐なさ。

音声が遅れるこの現象。
海外中継かよって。


今日初めてSkypeを使った訳ですが、これ、異常に便利そうですね。何やらiPhoneユーザは普通に電話をかけるよりはSkypeの方が安いらしいですし。
オンライン状態を保持しておくことも可能。

ただ焦ったのは、音楽を再生中だと、通話が始まっても音楽が止まらないこと。聞こえねぇって。


登録してるユーザに無料で電話。って、昔似たようなサービスがあったと思うんですけど、何だっけ?
その気になればランダムで通話が出来る…

今回は友人だったのでいいのですが、むしろ嬉しいのだけど、少し怖いサービスではありますね。



最近サークルでりそしたいって言いまくってたボクだけど、ありゃぁ勿論冗談なんで。
文字だけのコミュニケーションから音声のコミュニケーションってもの凄い勢いで距離が詰まってる気がする。大して親しくもない人から電話が来ると戸惑うあの感じ。急に距離を詰められたような。

どうも、ある程度までなら一気に近づくけど、ある地点からはそう簡単に近寄って欲しくない。みたいな、面倒な人間なんで。

パーソナルスペースはそんなに広くないけど、触られるのはイヤみたいなね。


その辺はいいや。どうでも。

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追記:最近のはまり物はインスタントの抹茶ラテとアルフォート

※一度読んでくれた方のスクロールの手間を省くため、最初に追記を書いておきます



一応今日で開講から一週間が経ったわけです。

授業が始まった講座、ガイダンスで終わった講座、様々で
講師のキャラクタも様々で、
授業の展開も様々で、
予習の手間も復習の手間も様々。


一つの科目に何人もの講師がいるメリットは「この講師キライだ」ということがあってこそ発揮される訳で。

今現在はデメリットの方がずっと大きいです。
授業になかなか慣れない件。
週に一度ずつそれぞれの講師の講座があるので、一週間経つのにまだ一回ずつしか授業を受けてないことになりますから。


取り敢えず日本史以外はどの教科も問題を解いてから出席しないと意味が見出だせないということがわかりました。
もしくはギブアップするまで考えること。



あまり調子が良くない。


体調もそうですが、気分も、勉強も上手く行かない。

予習をしようにも正直難しくて話しにならない。
自室に帰るとだらけて勉強にならないのだけれど、自習室は極寒で勉強にならない。
スタバは居心地はいいのだけれど高い。

と言うか、都会のスタバに驚きました。
あれ何て自習室!?
図書館ばりの静かさの中で何かを広げて書き物してる人ばかり。
家から持って来たインスタントコーヒーは少し酸っぱいので最近あまり好きくなくなってきました。スターバックスラテが結構スキ。でも高い。
何処かに安い珈琲屋がないものか。


閑話休題。



そんな感じで予習がぶっ壊れると授業の理解と集中が半減して復習しようにも必死で写したノートが意味を成さないメモにしか見えない。

ストレスの大半は勉強に対する不安なんで、勉強が行き詰まると爆発的にストレスが増えるんですね。


ストレスが増えるとやたらと菓子が食べたくなって、食べてる最中はいいんだけど、またすぐに苛々し出して菓子食って、

以下摂食無限ループで、
そこから太るとかなら話しは解るんですが、

太る前に腹壊す。

で、苛々増加の悪循環。


苛々していて勉強が手に付くかといったらそんな訳なく、悪循環の自転車操業。



一度パンクした方がいいのかもしれません。
パンクすれば自転車は走れないからね。

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浅田弘幸の画集を探してるんだ。



今日の放課後、朝洗濯物を干してから予備校に行ったのを思い出して自習室に寄らずに帰寮。


その途中で不意にジュンク堂の地下(漫画、ラノベ部門)に潜って浅田の画集がないかと画集のコーナを見るも、ない。



オッサン(小太り)が画集のコーナ何かをでやけに熱心に見ているのを横目に小畑の画集やらくらもちふさこの画集やらを眺めていたんですが、

あ行はそんなにないし、さっさと諦めて帰ろうとしたら、丁度オッサン(リュック)が手にしていた本を戻して颯爽と(副音声:のしのしと)立ち去ったんです。

ちょっと興味がひかれたので、その本を見てみた。






…………(゜Д゜)



『女子校制服図鑑』




何人かのイラストレータが、厳選された女子校の制服をモデルにイラストを描くという趣旨のもの。


メタボで、中年に片足突っ込んだオッサンがじっくり見るものじゃ....




違うか。

もう還らない、時よりも早く過ぎ去ったあの時代に思いを馳せていたのかもしれない。


それこそ箸が転げただけで笑い合うような、世の中から隔離された、でもだからこそはっきりと守られていた、あの時。
狭い社会の中で一喜一憂して、点数で差別化されても、でも笑い合えて。


例えば、誰かと
例えば、皆と
何かをやり遂げたり。


甲子園とか、
普門館とか、
何処か大会のグラウンドを目指したり。ステージを目指したり。

仲間と一つになってあれほどのことができるっていうのは、多分、あの三年間が最後のチャンス。


何処かいらいらして、
何処かうざったくて、

何だか怒り出したいような、
何だか泣きたくなるような、


それでも、
毎日が楽しかったあの時代を。




オッサンは、所謂萌え絵の中に見たのかなー
とか考えてみたけど、
現実味が全くなかった。


オッサン、あんまじっくり見るなよwwwwwww






どうでもいいけど、
制服のラインナップの中に
「宇都宮文星女子高校」
を見付けたときは思わず吹いた\(^O^)/

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クリーム5mlでは何も変わらない

ボトル状のを買って来るべきだったよ。





昨日の話しになりますが、池袋のサンシャイン60通りから少し路地に入ったところをてくてく歩いていたら酔っ払いに絡まれました。


酔っ払いの爺さんがふらふらしているのを横目に見ながら通り過ぎようとしたら、


酔っ払い寄って来た


正面に立たれて、一体何かと思ったけれど、そのまま横に避けようとしたんですが、


う で を つ か ま れ た


そこで酔っ払いの一言



「何だぁ、死んだような目ぇしやがって」




   心 外 です。




さて、親から荷物が届きました。
と言うか、送ってくれるよう頼んだのですけど。爪切り。

爪切りと、カーディガン。

予備校が何を考えているのか知りませんが、時折天井から冷気が下りてくるので。
……寒いんだけど。


中身はわかっていたのですが、開封してみると羊羹とチョコレートがおまけに入っていました。

流石は母親だ......


と思って見たらその羊羹、去年だか一昨年に俺が祖母さんにもらったやつじゃねぇか\(^O^)/
家にあっても誰も食べないから送って来たww



わたしは酒飲めないけど辛党なんです。辛いの好きだ。

でも同じくらい甘いの好きだ。
特に、
餡とチョコね。




……塩羊羹?

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CD一枚買う為に新宿まで出ました。

俺バカスww



そりゃあ池袋だって何処かあるだろうに、TSUTAYAで買いたかったんです。

T-Point10倍だとか言うからさ。

それがことの始まりで、池袋のTSUTAYAはセルCDは取り扱いが無いという奇跡に直面したww



新宿TSUTAYAでいそいそとCD買って気が付く現実。


ボーナスT-Point<交通費


俺テラバカスwwwwwwww

むしろマイナスwww
時間を換金するとさらにマイナスwww



新宿駅構内のDOUTORで昼ご飯にしたら、




折り畳み傘忘れたwwwww



池袋まで戻ってから気付いたwwwww



もうね、莫迦かと。





予備校で自習した帰り道


雨やまないwwww


俺涙目早足wwwww






もうね厄日かと。

全くついてなかったけど、何処かのぱられるぱられるぱられるぱられるぱられるぱられるわーるどでは、俺幸せになってるから今日はいい一日でした、まる。

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僕の目の前に敷かれている浪人街道にはいくつかの信号機が設置されておりまして、今日その内の一つである最後から三番目の信号機に炯々と青い光が点ったのを確認しました。「先に進め」と。「ここで止まらないてくれ」と。
まぁ、あれですね。為るように成ったと。正直浪人だって今回の受験だって大人の階段を上る為の下準備としての階段昇降運動だと考えれば健康によさそうではありますので吝かでもありません。真っ正直な嘘ですが。あぁ落ちたのは本当ね。



そんなわけで街道を邁進するのか新たに信号機を設置するのか、どうしたらいいのかほとほと困り果てた揚句に入間人間『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』を6巻まで一気読みという珍事に走ってみました。

雑感としては、かの柑橘系癒し系キャラクタがどツボにハマったと言うことで。
自分の中では分類は西尾と変わらない。詰まり、ストーリーではなく文章を読む読み本。

広義も狭義も関係なくミステリですが、ストーリー自体はやや冗長。あの文章によってさらに希釈されていてたまに飛ばしたくなる。特に5巻。そして7巻(途中)。


まぁいいんだけどー好きだから。
取り敢えず来月発売の『電波いかりゃく』の最新刊に期待値急上昇中なのである。




思うに、『嘘つきいかりゃく』は名前で損をしている気がします。
長いこと存在を知っていながら手を出さなかった個人的な理由はその「いかにも」なタイトルの所為でして。早い話しが敬遠ですな。
そうやって厨二を避けるような言動を高二病と呼ぶらしい。ホントか?

その名前を知った当時は『扉』に御執心だったようなと考えると、大分昔のようですね。
『扉』を奨めてくれた友人とは談笑したりゲーム借りたり机をくっつけて食事したりしましたね。スキーも共にしたことがあるらしいぜ。覚えてなくてごめん。
翻って『嘘つきいかりゃく』の契機はモバ友だった方。最近友達から知り合いに成り上がりました。現代っ子らしい振る舞いです。嘘じゃないよ。




そんな感じで『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』でした。
何の読書雑感にもなってないけどいいや。




こう、読みながら不安定感を味わわせる(誤植ではない)本は嫌いじゃない。
願わくば柑橘系の出番が増えて……って積んである本に願っても無駄でした。

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「己が或る刹那に『まあ、待て、お前は実に美しいから』と云つたら、君は己を縛り上げてくれても好い。己はそれ切滅びても好い」
ファウスト/森鴎外訳




今この時が美しいから、永劫に渡って留めて置きたい。

流れ徃く時の一コマを切り取り留めたい。


そんな願いを可能にしたカメラの原型は日本史で言う江戸時代には存在していたそうです。
撮影にかかった時間はべらぼうに長かったとか。


小学生の頃自分用のフィルムカメラを一台持っていて、ことあるごとにシャッターを切っていました。
店に出して現像するときのワクワク感は忘れ難い……

とかならいいんですが。
もうさっぱり忘れました。

現像にかかるお金は意外に高くて、小学生のお小遣には多大な出費でしたね。
よくもあんなにはまっていたものだと思う。


デジカメが普及に普及を重ねた今では、自宅で簡単にプリントが可能。
「現像」なんて死語になる日も近いやもしれません。
カメラ屋として名高いコニカやニコンもフィルムカメラ事業からは撤退してしまいましたし。




では町の写真屋は衰退の一途を辿るのかと言えばそうではなく、僕、明日写真屋に行って来ます。


受験票と願書に貼る為の証明写真を受け取りに行く必要がありますゆへ。

わざわざ学校に出張して撮影して帰って行った写真屋さんは学校で販売してくれないのです。
ケチくせー


幾ら時代の流れだと言っても簡単には潰れやしない、
地域密着型の商人の機転には頭が下がります。

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